政府の陰謀

ユダヤ国家イスラエルと敵対?パレスチナ問題|ひとつの国であり、地域でもある

この記事では「パレスチナ問題」について探求します。ユダヤ人国家「イスラエル」の誕生と、アラブ系民族の暮らすパレスチナ地域にまつわる歴史をわかりやすくまとめていますので、ぜひ参考にしてください。

パレスチナ問題とは何か?

「パレスチナ問題」とは、パレスチナ人の居住するパレスチナ地域にユダヤ人国家「イスラエル」が誕生したことによって生じていた民族間の分断ならびに難民問題のことを指します。

パレスチナとはどこを指すのか

パレスチナがあるのは地中海東部。東エルサレムを首都とする共和制国家で、領土は首都のある東エルサレムの他、ヨルダン川西岸地区・ガザ地区からなります。

※エルサレムは、キリスト教の聖地「聖墳墓教会」・イスラム教の聖地「岩のドーム」・ユダヤ教の聖地「嘆きの壁」がある場所として世界的に有名です。

パレスチナは国連には未加入であるものの、2012年には国家と同等レベルの発言権を持つことを国際的に承認されました。2021年までに138ヵ国の国連加盟国が「国家」として承認している国です。(ちなみに日本は未承認)

ただしパレスチナ国の一部は現在も、実質的にはイスラエルの統治下(支配下)に置かれた状態であり、多くの制限の中で運営を行っています。

上記の事情により、パレスチナをひとつの国家としてみる考えと、ひとつの地域としてみる考えが共存しているのが現状です。

ユダヤ人国家「イスラエル」の誕生まで

1948年、ユダヤ人の国「イスラエル」が生まれました。これまで世界に散り散りになっていたユダヤ民族がパレスチナ地域に集結し、建国した国です。

パレスチナ地域には、かつてユダヤ民族の王国(古代イスラエル)がありました。

エルサレムに、ユダヤ教の聖地「嘆きの壁」があります。これは、2000年ほど前にローマ帝国によって滅ぼされ、破壊された巨大な神殿の一部という説も。

王国が滅んだ後、ユダヤの民は世界中に散らばって生き延びる道を探ることになったのでした。

しかしヨーロッパ諸国でキリスト教が広がると、ユダヤの民は信仰の違いから「キリストを磔刑にした罪深き人々」というレッテルを貼られ、市民権をはく奪されたり土地の所有を禁じられたりと、不当な扱いを受けるようになります。

18世紀に起こったフランス革命により、ユダヤ人にも市民権が与えられるようになりますが、今度は別の差別が生まれるのです。

それはユダヤ民族がヨーロッパの民よりも劣った人種だとするものでした。優れた人種で構成されたヨーロッパ社会に、劣った人種であるユダヤ人が溶け込むことを良しとしない身勝手な理由です。

ヒトラーはその思想を利用し、ナチスドイツを中心としたヨーロッパぐるみで、ユダヤ人の大虐殺(ホロコースト)を決行したとされています。ホロコーストでは約600万人もの罪なき人々が命を奪われました。

この痛ましい出来事が決定打となり、ユダヤの民の間で、誰からも迫害を受けずに暮らせる国をつくろうという動きが強固になっていきます。

ここから、世界中に散らばっていたユダヤ人達が故郷の地(古代ではカナンの地と呼ばれた)に集結するシオニスト運動が始まりました。

自分たちの国をつくるというのはユダヤ人にとって悲願とも言えるものでした。イスラエルという国が出来てからは、その国を二度と手放してなるものかという強固な意思が芽生え、国の存続を脅かす相手は武力をもって制圧するようになったのです。

パレスチナ自治区とイスラエルの対立

世界中に散り散りになっていたユダヤ人が戻ってきて、いきなり自分たちの国を作ると言い出した時、当然パレスチナ地域の住民たちは困惑しました。歴史的な古い事情を知らない人々も多く、自分たちの土地を突然奪われるような不安を感じたのかも知れません。

しかしホロコーストの一件があったことは当然みな知っていましたし、国連からの支援もあり、ユダヤ人の国「イスラエル」が誕生したのです。

イスラエルとパレスチナはそれぞれ独立した国家をつくれば良いはずでした。けれどもパレスチナ人はイスラエル人を良く思っていなかったため、自分たちの国を育てるという意識よりも「邪魔な者を排除する」行動に熱を入れたのです。

国として機能するための土地は手に入れたのに、国家の運営が脅かされるイスラエル。パレスチナと近隣のアラブ系民族が攻め入るも、天才的な軍事的才覚を持つ人物がイスラエルに何人もいたことから、圧倒的不利な状態のはずの戦争に勝利。

ここから形勢が逆転し始めます。

イスラエル側が加害者になりつつある

イスラエルは戦況が有利になるにつれ、パレスチナ人が住む地域を武力を持って支配統治するようになりました。

パレスチナ地域の人々は自由を奪われ、職業選択・住環境・教育・生活に必要な物資の使用に至るまであらゆるものに制限がかけられたのです。パレスチナ人は地域外に許可なく出ることを禁じられ、2年に一度のペースでイスラエルから大規模な軍事攻撃が仕掛けられました。

200万人を超えるパレスチナ難民が、辛うじて残された土地にぎゅうぎゅう詰めに暮らす日々が始まったのです。

ガザ地区では、諸外国からの支援がなければまともに暮らせないほど困窮。ヨルダン川西地区では、ある程度行動の自由が許され、許可があればイスラエルの領土に働きに出たりショッピングモールが建設されたりといった表面的には豊かとも言える状況でした。

ただしヨルダン川西地区にはイスラエル人がやって来て、「入植地」という形で居座ります。これは国家法違反に当たりますが厳しい取り締まりは行われていません。

イスラエル国のユダヤ民族は、かつて自分たちがされてきたことと似たようなことをしているわけです。

パレスチナ問題の現在

パレスチナとイスラエルの関係は今や、二つの国の問題だけに留まりません。それぞれの国の敵対意識はようやく落ち着いてきたかのように思われますが、今度は近隣諸国が敵対相手との交渉の際、パレスチナ・イスラエルを引き合いに出したり巻き込んだりするケースが増えています。

ユダヤ民族の金融資産や経済的才覚をイギリスが盗もうとしている、という噂や、アメリカがパレスチナを支援して戦況を操作しようとしていると言う噂も。

単純な二者間構造では語れなくなってしまっている現状です。

古代イスラエルと日本にはつながりがある

実は古代イスラエルの民(ユダヤ民族)がローマ帝国に滅ぼされて世界に散ったとき、辿り着いた場所のひとつが日本だったと言われています。詳しくは、日ユ同祖論について紹介した別記事をご参照ください。古代イスラエルのユダヤ民族と日本には共通点がいくつもあるという説があることから、古代ユダヤ民族と古代日本人はどこかの時点で血脈を交えているのかも知れません。

 

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