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【未解決事件】ヨハネ・パウロ1世の死の謎とは?暗殺説も浮上

ローマ教皇在位わずか33日目に急逝したヨハネ・パウロ1世の死については、様々な噂があります。この記事では、その死因のなかで特に信憑性が高いとされる「ヨハネ・パウロ1世暗殺説」について解説しますので、ぜひ参考にしてください。

ヨハネ・パウロ1世とは

ヨハネ・パウロ1世(出生名:アルビーノ・ルチアーニ)は、ローマ教皇ならびにバチカン市国の元首です。教皇は、全世界のカトリック教会の統治者であり、キリストの代理人という立場にもあります。

1912年、イタリアのベッルーノ県に生まれ、敬虔なカトリック教徒である両親のもと、幼少期より聖職者になることを夢見ていたようです。

神学校を経て、第二次世界大戦の後には神学校の教授職を務めました。1958年には司教に、そして1970年にはヴェネツィアの総大司教へと昇格します。

1978年に枢機卿に選出されたとき、ヨハネ・パウロ1世(アルビーノ・ルチアーニ)は66歳になっていました。

ヨハネ・パウロ1世として

1978年8月26日、ヨハネ・パウロ1世は、パウロ6世の帰天を受けて行われたコンクラーヴェによって新ローマ教皇に就任します。

ヨハネ・パウロ1世は清貧の精神を持ち、質素な生活を好んだとされており、その在り方は教皇になった後も変わりませんでした。

歴代の教皇が自身のことを威厳を含めて「朕(ちん)」と呼んでいたのに対し、ヨハネ・パウロ1世は自らを「私」と称したのです。

さらに、豪華絢爛な戴冠式の実施や、教皇のみが被ることを許されている冠の使用も拒否しました。これは伝統を重んじるカトリック教会においては極めて異例で、驚くべき事態であったことでしょう。

ヨハネ・パウロ1世は難解な言葉は用いず、誰にでも理解できるわかりやすい言葉で、童話からの引用などもしながら話す人物であったと言います。

ヨハネ・パウロ1世による改革

ヨハネ・パウロ1世はローマ教皇のなかで初めて「避妊を肯定」する発言をした人物としても知られています。それまで、天からの授かりものである命を人間の判断で選ぶなど、あってはならないことだとされていました。

しかしヨハネ・パウロ1世は、「本当に子どもを望んでいる女性のみが妊娠できるべきである」という見解のもと、避妊を擁護する意志を表明したのです。その発言は単なるパフォーマンスではなく、アメリカの幾つかのプロテスタント団体と既に接触を図っていたと言います。

また別の件では、教皇は就任後まもなく、以前より黒い噂のあったバチカン銀行の改革を行いました。過去にマフィアとのつながりを持ち、偽造公債の発注の嫌疑でFBIにマークもされているバチカン銀行総裁マルチンクスの更迭を決めていたのです。

さらにバチカン銀行の汚職にまつわる更迭リストなるものも作成されていたのではないかと言われています。

こうした「型破りな改革」は、多くのバチカン市国民や改革派から熱烈な支持を受けた一方で、保守派からはとても疎んじられ、絶えず対立の声が上がっていました。

ヨハネ・パウロ1世の最期

1978年9月28日早朝、ローマ教皇ヨハネ・パウロ1世はバチカン内の自室で遺体となって発見され、心臓発作による急死と発表されます。

教皇即位からわずか33日目の教皇帰天のニュースは世界中を駆け巡りました。これほどまでに短命で終わった在位期間は20世紀以後初めてのことであり、現在も更新されていません。

ヨハネ・パウロ1世の死因の噂「暗殺説」

あまりにも早すぎるローマ教皇の死の真相について、様々な憶測が飛び交うのは当然と言えるでしょう。

ヨハネ・パウロ氏には重大な既往歴は見当たらず、健康そのものだったと言います。

また、遺体発見のわずか15分後には葬儀社に連絡が行っていたことや、死亡時刻を改ざんして発表されたことなどが後に明らかになったのです。さらに、死因特定の要となる遺体解剖が行われる前に、防腐処理が行われたことも暴露されています。

28日早朝に亡くなったはずが、駆けつけた医師団のブゾネッティ医師によって「帰天の推定死亡時刻は27日午後11時、死因は急性心筋梗塞」と断定され、午前7時過ぎには速報が伝えられました。

まだ遺体解剖が行われていないにもかかわらず、です。

さらに、ヨハネ・パウロ1世の居室に保管されていたとされる眼鏡やスリッパ、就寝時に手元に置いてあったとされるバチカン銀行不祥事に関する更迭者リストも、教皇の帰天後、何者かに持ち去られたと言われています。

その人物として有力視されているのは更迭者リスト・バチカン人事異動リストに載っていたヴィヨ国務長官で、事件後行方不明となったままです。

また、以前に更迭が決まっていたバチカン銀行総裁マルチンクス大司教が、ヨハネ・パウロ1世帰天の前日、近衛兵により目撃されたことも明かされています。

このような数々の不審な動きから、事実が隠蔽されているのではないか、証拠隠滅の為に情報操作が行われたのではないかと噂されているのです。

暗殺説の裏側にいる存在とは?

ローマ法王暗殺説を広めるきっかけとなったのはイギリス人ジャーナリスト、デイヴィット・ヤロップ氏による書籍「法王暗殺」です。

そして数年後、大人気映画シリーズの「ゴッドファーザーPART.3」でヤロップ氏の説がそのまま引用されたことにより暗殺説が「事実」として流布され始めます。

ヨハネ・パウロ1世暗殺の犯人と推定されている人物は、前述したマルチンクス大司教(バチカン銀行総裁)とヴィヨ国務長官、マルチンクス氏と親交の深かったジェッリ会長ならびにアンブロシアーノ銀行カルヴィ頭取です。

まとめ

在位から、わずか33日で帰天したローマ教皇ヨハネ・パウロ1世の本当の死因は、現在もわかっていません。

しかし今回お伝えした内容を鑑みれば、教皇とバチカンの内部に何らかの揉め事があったことは明らかです。犯人とされる人物はいずれも事件後に行方をくらませています。

カトリック教会の統治者である教皇が、謎の死を遂げたことは、今後も長く語り継がれるミステリーとなりえるでしょう。

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