【日ユ同祖論】言語や文化が似ている!?古代日本と古代イスラエルの共通祖先とは
1.日ユ同祖論が生まれた背景
日ユ同祖論が生まれたのは明治初期のことです。スコットランド出身のニコラス・マクラウド氏は日本の歴史に興味を持ち、各地の神社仏閣を巡り歩いた際、日本古来の儀式と聖書に登場する儀式に共通点がいくつもあることを発見します。
マクラウド氏は、日本人が古代イスラエルの失われた10支族の子孫であるという理論を唱え、1875年長崎で「日本古代史の縮図」という書籍を出版しました。
2.言語が似ている!古代日本語とヘブライ語
日ユ同祖論においてのユダヤとは古代イスラエルのことを指しますが、マクラウド氏によればイスラエル圏で使われているヘブライ語が、古代日本の大和言葉と似ているというのです。
日本では天皇の名が漢字と大和言葉の二つあり、初代神武天皇の場合は、大和言葉の名をカムヤマトイワレビコスメラミコトと言いました。
戦後日本に訪れたイスラエル人のアイゼルバーグ氏は、この言葉をヘブライ語だと言ったたそうです。アイゼルバーグ氏によると「カムヤマトイワレビコ」をヘブライ語で訳すと、神のヘブライ民族の高貴なる創設者となり「スメラミコト」はサマリア(パレスチナ中央部の地域)の王という意味になると言います。
アイゼルバーグ氏は、それまで解読が難しいとされていた大和言葉のうち、およそ3000語をヘブライ語に翻訳することが可能だったというから驚きです。
さらにアイゼルバーグ氏は日本語の片仮名の起源についても言及していて、日本で用いられている片仮名はヘブライ文字だという見解を示しています。
一説によると、後に日本に訪れたヘブライ語圏の人々は片仮名を難なく読むことが出来たと言われていますが、真偽は明らかになっていません。
16枚の花弁
天皇家の紋章である十六菊家紋に瓜二つの紋章を、エルサレムで見つけられると言います。ヘロデ門の上部にほぼ同じものがあるのです。
3.ユダヤ人はいつ日本に渡ってきた
ユダヤ起源論によると、北イスラエル王国の10支族は紀元前722年にアッシリアに滅ぼされています。
その後、もし日本に渡ってきたと仮定するならば、初代神武天皇の即位は紀元前660年ですので辻褄が合うと言えるでしょう。しかし、十代目の天皇登場に至るまで空白の歴史が存在し、誰がどのように統治していたのかわかっていません。(欠史八代と呼ばれる時代です)
しばらくして、十代目の天皇である崇神天皇ハツクニシラススメラミコトが登場しますが、ハツクニシラスとは「初めて国を統治した」という意味になります。
建国者が2人という奇妙な話になってしまいましたが、もしも崇神天皇の祖先(ニギハヤミ)が国外からやって来たと仮定するとどうでしょうか。
失われた10支族の他にも、どこか外部での歴史的事件によって国を追われ、日本列島に辿り着いた民族がいるかも知れません。
神社のような役割を果たす祈りの空間
古代イスラエルにも日本の神社と似たものがあり、移動式で四方を布で覆って聖域を作るタイプのものがあったようです。
さらに身を清めるための水を持っていたこともわかっており、これは日本の神社で見かける手水舎と似ています。また、日本の神社にはお賽銭箱がありますが、古代ソロモン神殿の前にもお賽銭箱と同じ役割をする箱が設けられていたのです。
神社の鳥居(トリイ)はヘブライ語で「門」という意味になり、さらに鳥居の朱色は、旧約聖書においてモーセが人民を守るために建てた二本の柱を羊の血で塗ったという記述と共通しています。
狛犬についても、中近東の古代神殿から日本と同じようなものが多数発見されているのです。ここまで共通点が多いとさすがに偶然とは言えないでしょう。
大晦日からお正月にかけての7日間
イスラエル圏では3月末頃に過越祭/ペサハというお祭りがあり、日本でいう大晦日~お正月と雰囲気が似ていると言います。大晦日にあたる日は眠らずに夜を明かし、お正月にあたる期間にはマッツォという具のないパンを食べる風習があるのだそうです。これは日本のお餅と似ています。