バラタナティヤムとは?デーヴァダーシーと性奴隷について徹底解説!
なぜ、単なる踊りの1つであるバラタナティヤムに噂がつきまとうようになったのでしょうか?本記事ではバラタナティヤムについて、噂されている内容も含めながら徹底解説いたします。
1.バラタナティヤムとは?
バラタナティヤムとは、インドの古典舞踊の1つです。ここで重要になるのはバラタナティヤムを踊っていた人物について。バラタナティヤムを踊っていた人物はデーヴァダーシーと呼ばれ、ヒンドゥー教においては巫女のような存在でした。
神話に関する歌や踊りを奉納しており、神に仕えるものという意味からデーヴァダーシーと名付けられたとも言われています。これだけを聞くと非常に神聖な存在であり、悪い噂とは無縁のように思えるかもしれません。
しかし、デーヴァダーシーになる人物は、美しい女児に限られていました。美しい女児は貴重な存在であり、寺院に仕えることが刑事とされていたからです。思春期を迎えるまでに献呈された女児は、神と結婚の儀式を挙げた後、寺院に仕える舞踊家として修行を重ねることになっていました。
勘のいい方であればわかると思いますが、美しい女児に対して結婚の自由を与えずに、無理やり神に使わせていたというのがこのデーヴァダーシーと呼ばれる存在になります。神に仕えると言えば聞こえはいいですが、実質的に神の奴隷扱いになっているとも言えるでしょう。
人間と結婚することは社会的にタブーとされていました。しかし、デーヴァダーシーには土地の権力者や階級の高いパトロンがつくことはありました。つまり、実質的に第二夫人としての地位が与えられていたのです。
そのころはデーヴァダーシーは、かなり特殊な立場の存在であるとはいえ、神につかえているということもあり、高い立場であるとされていました。しかし、現在のデーヴァダーシーの立場は大きく異なります。
2.現在のデーヴァダーシーについて
デーヴァダーシーという風習は現在でも残っています。しかし、カルナータカ地方では、デーヴァダーシーの言葉の定義が神に仕える者という意味から、売春婦という汚名に変化しています。
なぜ、ここまで印象が変わったのかというと、神に使えていたとしても権力者やパトロンの存在がなければ生活していくことができないからです。あくまでも神というのは空想上の存在であり、現実に存在するわけではありません。
もちろん、神に仕えるという行為自体は素晴らしいことではあるのですが、生きていくために必要な食料や衣類などを神が与えてくれることはありません。そのため、デーヴァダーシーは、実質的に権力者やパトロンに仕える存在となっているのです。
売春婦と呼ばれている理由もわかるでしょう。現在では、デーヴァダーシーとして神につかえてはいるものの、それを隠蔽しているケースもあるようです。なぜなら、デーヴァダーシーとして使えていることがわかったら、売春婦扱いをされてしまうからです。
日本では特に問題のない表現ではありますが、デーヴァダーシーという言葉を気軽に使用することはおすすめしません。間接的に売春婦と呼んでいるのと同じような意味があるため、使用する際には慎重になりましょう。
3.神に仕えるという意味
昔は今よりも宗教の存在が色濃くありました。そのため、神に仕えることは神聖な行為とされていましたし、何よりも価値があると言われていました。しかし、現在では違います。
神に仕えていたとしても、しっかりと仕事をして収入を得ていなければ暮らすことはできません。宗教はとても大切ですが、それだけでは生きていくことができないのが現実なのです。
宗教の勧誘にあったという方もいるでしょう。その行為を頭ごなしに否定することはできません。宗教によって人生が豊かになったというケースもあります。しかし、貧しさで悩んでいる方が、宗教によって幸せになるということはありません。
あくまでも精神的な問題を解決してくれるのが宗教であり、現実的な問題の解決にはならないからです。これから宗教について考えていく方は、頭ごなしに否定したり、盲信したりするのではなく、信じることによってどう変わるのかを具体的かつ理論的に考えるようにしましょう。
まとめ
いかがだったでしょうか?最後にバラタナティヤムについてまとめます。
[1]バラタナティヤムとは、インドの古典舞踊の1つであり、デーヴァダーシーが踊っていた
[2]デーヴァダーシーは、神に仕えるものという意味から売春婦へと意味を変化させている
[3]宗教は否定しすぎず、盲信しすぎないことが大切
デーヴァダーシーやバラタナティヤムの歴史的背景が気になるという方は、ぜひ自分なりに調べてみてください。