政府の陰謀未分類

聖人マザー・テレサの裏の顔!人身売買にも関与していた!?

インドの貧しい人々を献身的に救済したことでノーベル平和賞も受賞・したマザー・テレサは2016年、没後わずか20年で列聖されました。この記事では聖人マザー・テレサの知られざる裏の顔について解説します。ぜひ参考にしてください。

マザー・テレサとは

マザー・テレサ(コルカタの聖テレサ)は、カトリック教会の修道女ならびに修道会「神の愛の宣教者会」の創立者です。

1910年8月26日、アグネス・ゴンジャ・ボヤジュは現在の北マケドニアに、3人兄弟の末っ子として生を受けました。のちのマザー・テレサです。

アグネスは、敬虔なカトリック教徒であったアルバニア人の母とアルーマニア人の父のもとで幼少期を過ごしました。何不自由なく裕福な生活でした。

父母が熱心に貧しい人々へ施しをする姿を見て育ったアグネスは、12歳になる頃にはいずれ修道女になることを思い描くようになったと言います。

18歳で、修道女としての人生を歩み始める

18歳を迎えたアグネスは許可を得て故郷を離れ、当時女子教育に力を入れていたアイルランドのロレト修道女会に入りました。

やがてダブリンでの基礎教育を終えたアグネスは、次にインドのダージリンへと赴きます。このときに選んだ修道名が、生涯をともにする「テレサ」と言う名だったのです。

聡明なテレサは、1929年から1947年までコルカタの聖マリア学院において、地理と歴史の教師を務めました。また、1937年には終生誓願(生涯、修道女として仕えること)を宣言したことから、以降シスター・テレサと呼ばれることになります。

聖マリア学院で校長にまで昇りつめたテレサですが、「すべてを捨てて、最も貧しい人々のために働きなさい」と天啓を受けたことをきっかけに修道院を離れる決意をするのでした。

マザー・テレサの誕生

1948年、コルカタのスラム街に降り立ったテレサは、手始めに、学校に通えない子どものための無料授業を街頭で行うことにしました。

やがてテレサの活動に感化された、聖マリア学院のかつての教え子たちがひとりふたりと集うようになります。さらには、教会や街の資本家からの寄付が寄せられるようにもなってきたのです。

これを資本をとしてテレサは「神の愛の宣教者会」を創立することになります。教会のリーダーとなったテレサはついに「マザー・テレサ」という呼び名を得たのです。

マザー・テレサとしての功績

マザー・テレサの掲げた飢えた人・裸の人・家のない人・体の不自由な人・病気の人・必要とされることのないすべての人・愛されていない人・誰からも世話されない人のために働く」という慈悲の精神は世界中に拡大していきました。

いかなる場所でも質素な身なりを貫き、宗派を問わずに救済の手を差しのべるテレサの活動は、メディアで取り上げられるようになり、さらに影響力を強めていきます。

支援者による世界各国での修道会の創立・戦争の一時停戦・ノーベル平和賞を始め数々の名誉勲章の受章などを経験したテレサですが、貧しき人々への想いを忘れることなく謙虚な姿勢を貫いたのでした。

マザー・テレサの価値観

聖母マリアのような深い慈愛を持ったマザー・テレサですが、彼女は貧しく身寄りのない人々のケアのために愛や食糧、居場所を惜しみなく与えた一方で、医療的なケアは十分にしなかったと言います。

単純に、救済を必要とする人数が多すぎたということもあるかも知れません。特定の人にだけ医療を受けさせるのはフェアではないという見方もあったのでしょう。

マザー・テレサが最も大切にしていたのは人々に「家族に愛される喜びや、誰かに必要とされる喜び」を教えることでした。

「死を待つ人の家」の現実

マザー・テレサが設立したホスピス「死を待つ人の家」は、健康状態が悪く、なおかつ身寄りのない人々のための施設です。

運営はボランティアなど有志によってされていました。街から施設に連れてこられた人々のうち、元気を取り戻した人々は街へと返され、残りの7割ほどの人は3日と経たずに亡くなります。それでもマザー・テレサによれば、彼等は最期に誰かに看取られながらこの世を去っていくことが出来るのです。

世の中から見捨てられて生きてきた人々の最期の願いは「せめて人間扱いされて命を終えたい」という痛切なものだったのかも知れません。

しかし一方で、後年に元ボランティアが明かした話によれば、この施設内は衛生状態が悪いばかりでなく、支援をするのに必要な物資があまりにも少な過ぎたと言います。

そこでは薬を与える代わりに、冷たいタオルで優しく身体を撫でながら祈りを捧げるという方法が主でした。元ボランティアの男性は「その家に引き取って来なければ彼らは普通に病院に行って、もっと長く生きられたかも知れないのに」と語っているのです。

マザーテレサには裏の顔があると言われる理由

マザー・テレサには世界中の団体や個人から多額の寄付金が集まっていたはずでした。その証拠にマザー・テレサの没後、彼女名義の預金通帳には47億円もの残高があったそうです。

なぜ、そのお金を貧しい人々の医療に使わなかったのでしょうか。そのお金があれば、ホスピスや修道院を創設するばかりでなく、病院をいくつも建てることが出来たかも知れません。

次のページを読む
1 2
Share: